苔のむすまで。

12月に入り、冬眠を間近に控え、
少しだけ、色んなことを考える余白が出来てきました。

忙しくしていると、しっかりと見つめなければいけないものも見えなくなってしまうから、深く反省なのです。

お店の名前も、【足元のありふれた幸せを愛でたい】と志して命名されたのに、
営んでいる本人が足元を見ることすらも忘れているようでは、いけませんね。


正常な心理状態になって、
まず感じること、考えることは、

自分の好きなことをして、
細々とでも暮らしていけることの、大変な有り難さです。


僕は若い頃にバンドをやっていたから、
好きなことで飯を食うということの難しさを、
挫折の経験と共に、少しは理解しているつもりです。


好きなことをやる為に、アルバイトに必死になっている表現者は沢山います。
食う為に、表現したいものとは別のものを表現せざるをえなかったり、
その内、表現すること自体を嫌いになってしまったりします。


僕の携帯のグーグルマップには、
これまでに訪れた素敵なカフェや、いずれ訪れたい憧れのカフェが沢山マーキングされていますが、

たまに眺めると、少なくない数に【閉業】という文字が記されていたりします。

実は、先日の車中泊の旅も、実は閉店してしまうカフェがあって、最後の数日に間に合うよう飛んで行ったのでした。

この僕自身の感性で、素敵だと感動したり、ここは必ず訪れたいと憧れたりしたカフェのいくつもが、
閉業してしまうという事実は、僕を酷く不安にさせます。


閉業の背景・理由は定かではないけれども、
僕の感性に響く、憧れの、僕の目指したいようなお店は、この社会で続けていくことは難しいのだろうか?
あれほどのお店でも、閉業せざるをえないのだろうか?

そう考えてしまうと、不安で不安でなりません。


ただ、一つ言えることは、僕たちは独自の生存戦略を創り出さなくてはいけないということです。

開店当初から考えているのは、

◯消費を、ミニマルに。
◯消費に依らない、幸福の捉え方を育む。
◯心のエネルギーの消費も、ミニマルに。(心が疲弊しないでお店を続けられる方法を真摯に模索する。)

これはまるで、このお店のお庭に息づく、苔のような生き方。

当店の周囲の森では、様々な植物が生存戦略に知恵を凝らしています。

他の植物よりも樹冠を大きく広げて陽光を得ようとするもの、
春に誰よりも早く葉を広げて陽を浴びるもの、
秋に誰よりもしぶとく葉を残すもの、
少ない日差しでもエネルギーを生み出せるもの、
他の植物に頼って生きるもの、
などなど、、

それはそれは様々な生存戦略が繰り広げられていますが、

苔は、大地からの栄養摂取すら放棄して、
石の上や樹皮など、他の植物と限られた土壌を争わないで、
大気中の水と、僅かな木漏れ日だけで生きている。

そして苔は大変に地味だけれど、ハッとする美しさがあります。


苔のむすまで、

このお店を続けられたらと、願うのでした。


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